一足先の白い吐息

冬が近づくのを感じるこの時期だけ、少し煙草が吸いたくなる。

大学時代のちょうど寒くなりはじめた頃、初めてそれを買った。

理由はいろいろあって、コンビニでバイトしていて後ろにずらっと並んださまざまな色の箱に純粋に興味をもったとか、
陳列している最中の、火をつける前の香りは悪くなかっただとか、
お客さんの中で、かっこうよくて店員に優しいお姉さんがいつも買っていくのに憧れていたとか、
ほかにも身の回りに数人、煙草が似合うかっこよい女の人がいた、とか。

(かっこよいおねえさんに憧れるのなら、その人のファッションやスタイル、コミュニケーションなどを見習うべきなのだが)

あとは、
ため息が煙というぼんやりとした形をもって出ていくところが好きだ。
まるで心の中の憂鬱や、不安や、焦りを、吐き出せるみたいで。

だから、吐息の白くなる真冬には必要ないのだ。

当時、ベランダのない部屋の窓から身を乗り出して、上半身に寒さを感じながら、秋の夜特有のかなしい思いを燻らせていた。
もう成人しているし、誰かに咎められているわけでもない。なのに、罪悪感がある。
誰かに言うでもなく、隠れるように夜に、ひっそりと。

そうして、慣れない喫煙に頭がくらくらし出すと、ただ少しずつ煙草の先の火が燃え進んでオレンジの動いているのを、ぼうっと眺めたりしていた。

燃え尽きたあとは、すぐに歯磨きをして、しかしスッキリしない口の中を不快に思いながら、駆け足でお風呂に入るのだった。

チョコレートの味がするものがある、と知って、遠くのタバコ屋まで自転車を漕いでいったこともあった。
わくわくして口にすると、紙に甘味料が付いていて確かに甘く、煙もかすかにカカオのようなものが香るけれど、やっぱり煙草は煙草だった。そして、いつもの1mgのカプセルフレーバーのものよりもずっときつく、大いにむせた。格好わるいったら。

残念ながら学校を卒業して数年経ったいまも、あの憧れた女性のようにはまったく近づけておらず、ただ秋の夜に煙草に火をつける格好わるい習慣だけが残ってしまっている。

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