思考が黙読されている

なにかものごとを考えているとき、頭の中で自分が書き言葉というかブログ文体のようにしゃべっている。

これはだいぶ昔からで、はっきりと気づいたのは中学くらいだったろうか。そのときは、季節の変わり目にセンチメンタルなことを思っていて、やけに小説風だなあとハッとしたのだ。


不便なことといえば、文字を打つときは大抵箇条書きなのだ。(レポートやブログの下書きとか)
①文章(思考)→②箇条書き(アウトプット)→③文章(清書)
これが恐ろしく効率が悪い。
①→②は思考からアウトプットする際に変換作業が噛むので時間がかかる。とりこぼしもある。
また、手が追いつかないというのもある。
パソコンが苦手で(IT会社でデスクワークの仕事をしているのに!)タイピングが遅く、プライベートではめったにPCは使わない。
専らiPhoneフリック入力している。これが一番早い。でも頭の中の音声に追いつけない。結果、どんどん減っていって単語だけ落としていって、結論までたどり着けなかったりする。

②→③の際には、箇条書きで欠落した思考を埋められなかったり、つかれてモチベーションが保てず途中で投げ出したり。あとは読み返してつまんなくなって、または恥ずかしすぎてそのまま放置など。
そんな書きかけのメモが消せもせずiPhoneに大量に入っている。


音読をして録音してそのまま書き起こしたり、音声入力したりすれば良さそうなものだが
声に出そうとする変換作業で疲れて、思考が蒸発してしまう。
あと、自分の声と頭の中の声が微妙に違うというか、正確には声じゃないというか、なんというか。
自分の声ベースなのは確かなんだけど。
意識するとぼやけてしまう。掴めない。


あと、⑴思考を頭の中でしゃべっているとき・⑵しゃべりながら思考を文字で文章化しているとき(書くことをしゃべっている)・⑶書いたものを黙読して読み返すとき でそれぞれイントネーションが違う。⑴はすらすら淡々と、⑵はひとつひとつの言葉をはっきりと(手にスピードを合わせているというのもあるけど)⑶は大げさな朗読風、といった感じに。

ああ、頭の中の朗読文章をそのまま文字媒体にすんなり変換できたらどれだけ楽だろうなあ。それが冗長で読み直すとへんちくりんな文章でも。

自分の思っていることを外に出せないのは、そのまま忘れてしまうことが、なんだかとても悲しいのだ。

なんかがんばって書いてたら真っ白になって思考がしゃべらなくなってしまった。寝よう。


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